年末年始はヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』と向かい合いました。ナチスドイツのユダヤ人収容所
に実際に収容される経験をした精神科医ヴィクトール・E・フランクルの記録です。
極限状態にありながらいかに悲惨かを訴える恨み節ではなく、精神科医として人間生き様や、生死を分ける
心のあり方に光を照らしています。
凄惨な状況描写は極力減らしてくれていますので、“アウシュビッツ”という単語に苦手意識を持ち、読むの
を避けているのであればグロテスクな表現は極力回避されていますので手に取って読んでみてください。
人間の本質に迫る古典的名著で、時代を超えて普遍的な価値を持つ本です。
私は事業再生の専門家としてクライアントが債務償還年数(会社の収益力から返済が必要な債務の返済に必
要な年数)を見て「終身刑ですね」「懲役10年で正常先なのですね」と言われることが多くあります。その
ような経営者の心を理解するため手に取りました。
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事業再生における社長の心情理解
事業再生の知見は蓄積し、実例も豊富で、法律の整備や私的整理の枠組みも充実しています。しかし、当然
ながら経営者個人への救済策ではなく、経済合理性の追求であり、日本経済の好循環や地域経済の維持発展、
雇用確保が事業再生の目的です。
結果として、経営者の心情理解は置き去りにされ、経営者の人間としての再生は顧みられません。
鳥倉は事業再生の専門家として、経営者の人間としての再生が最も経営改善に寄与することを知っています。
多くの現場で、経営者がやり直そうと決意したときに企業の業績は再生します。
経営者の人間としての再生を考えた場合、ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』は金言に満ちていると
感じるのです。以下に引用符を用いて引用致します。必要に応じて抜粋することをお許し下さい。原文を参
照されたい方は引用を参考にされること無く、原文を読まれる事を推奨致します。
夜と霧
ヴィクトール・E・フランクル (著), 池田 香代子 (翻訳)
みすず書房; 新版 (2002/11/6)
https://www.amazon.co.jp/dp/4622039702/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_R5E4H085S8F486ZJP262
事業再生の初期的症状
恩赦妄想
死刑を宣告されたものが処刑の直前に土壇場で自分は恩赦されるのではと空
想しはじめる。
事業再生が必要になる社長は、業績悪化や資金繰り悪化に気がついています。それでも何とかなるとの心情
を持って着実な改善施策ではなく、一発逆転的な施策が多くなり奇跡を信じるようになります。
異常な状況では異常な反応を示すのが正常。
精神的に追い詰められた状態で露骨に生命の維持に集中させざるをえないス
トレスのもとにあっては精神生活全般が幼稚なレベルに落ち込むのも無理は
ない。
自ら抵抗して自尊心を奮い立たせない限り自分は主体性を持った存在なのだ
ということを忘れる。
事業再生の局面では、経営者が「あんな人じゃなかったのにな」と評される事が増えます。お金があれば普通
にできたことができなくなります。お金に関係の無いところでも焦りに起因した極端な言行が増えます。
残り少なくなったお金を荒っぽく使ったり、乱暴な言葉遣いが増えます。会社だけで無く、社長の家庭が上
手くいかなくなることが増えます。
事業再生が必要な状況に陥ったというショック状態にあり、受け入れることができず他責思考になる事がある。
事業再生が永遠であるかのような長さを感じる
被収容者の心にもっとも重くのしかかっていたのは、どれほど長く強制収容
所に入っていなければならないのかまるでわからないことだった。
ふつうのありようの人間のように、未来を見すえて存在することができない
のだ。
ありようが暫定的になり、ある意味、未来や未来の目的を見すえて生きるこ
とができなくなる。
債務償還年数が計算不能や10年超、15年超であることは事業再生を着手する時点ではめずらしいことではあ
りません。
また事業再生に失敗し、資金繰りが破綻すれば会社を失うだけでなく、連帯保証人として個人資産も失いま
す。死刑執行猶予付きの懲役刑と思えたとしても無理もありません。
事業再生に成功する道筋が見えることが希望の燈になります。どの程度の期間でそれを実現するかを示すこ
とで、実行する勇気が湧きます。そうで無ければ、刹那的に自暴自棄になっても無理はありません。
収容所の一日は1週間より長い。ことほどさように、収容所での不気味な時
間感覚は矛盾に満ちたものだった。
絶対的な未来喪失。あたかも死者が人生を過去のものとみるように、その人
の人生のすべてが過去のものになったとの見方を強いるのだ。
人間として破綻した人の内面的生活は、過去へと遡る退嬰的な傾向。
現実と向き合わず、現実をまるごと無価値なものに貶め、ついには節操を失
い、堕落する事につながった。
過去の生活にしがみついて心を閉ざしていた方が得策だと考えるのだ。この
ような人間に成長は望めない。
債務償還年数の長さと、経営者の平均年齢62歳を超えた現実は終身刑を思われるに十分です。債務超過や過
剰債務である事が大半であり、家族や親戚などの事業承継を利用して、責任を放棄することは難しいです。
M&Aで譲渡して肩の重荷を下ろしたい経営者も多いですが、身内も手を差し伸べてくれない会社を買ってく
れる人は希有です。
経営者は過去に成功体験がある人です。成功して現在の地位を築いた方です。失敗の経験は少なく、終身刑か
のような状況に落胆し、堕落するのも無理はありません。
過去の栄華にしがみつき、派手な生活や派手な経験を思い出して現実逃避することも無理からぬことです。
しかし、現在の自分が起こした問題状況は、現在の自分には解決できないのです。自分自身の人間的成長無く
して、問題を解決できることはありません。
事業再生の中で希望を見いだす
なんとか未来に、未来の目的にふたたび目を向けさせることに意を用い、精
神的に励ますことが有力な手立てとなる。
未来を、自分の未来をもはや信じることができなかったものは、収容所内で
破綻した。
生きる目的を見出せず、生きる内実を失い、生きていても何もならないと考
え、自分が存在することの意味をなくすとともに、頑張り抜く意味も見失っ
た人は痛ましい限りだった。
事業再生の成否、経営者の生死をわけるところは、未来を信じられるか否かです。
事業再生は金融機関の管理下(協力を得る代わりに意向に従う面が出る)で行われることが多く、経営者自身
の問題でありながら他人事のように感じる経営者は多いです。
自分のために頑張っているのか、金融機関のために頑張っているのかわからなくなる経営者は多く、生きる目
的を見いだせなくなった社長が事業再生に成功することはありません。
苦悩とそして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものとなる
のだ。
収容所を生き凌ぐことに意味などない。
最期の瞬間まで誰も奪うことのできない人間の精神的自由は生を意味深いも
のとした。
生きることを意味あるものにする可能性。
生きることそのものに意味があるとすれば苦しむことにも意味はあるはず
だ。
いきなり今までの論考を否定するかのように思われるかもしれませんが、事業再生が成功するか否かは問題の
本質と異なるのです。
事業再生という会社が死に近い現状と向き合い、会社の本質と向き合う事になります。結果として問題の本質
の“経営者の人生”に向き合う事になります。
今の会社の在り方が創業した時点で理想とした在り方なのか?経営者としての現状が、自分自身の人間として
満足できる生き方なのか?納得して死ねるのかを振り返るきっかけとなります。
事業再生に直面すると経営者の自分に選べる選択肢がないかのように感じます。しかし、現状維持ができない
だけであり、精神的自由は侵されたわけではなく、誰にも奪うことはできないのです。
あらゆる外的な要素を外して、自分自身として生きいたい道、生きる意味がが定まれば、どんなに苦しい道に
も意味を見いだし挑む事ができます。
事業再生と向き合うことにより、艱難辛苦と向き合う
一人の人間が避けられない運命とそれが引き起こすあらゆる苦しみを甘受す
る流儀にはきわめて厳しい状況でもまた人生最後の瞬間においても生を意味
深いものにする可能性が豊かに開かれている。
苦渋に満ちた状況と厳しい運命がもたらした状況を己の進化を発揮する機会
と活かしたか。
事業再生という死に近い経験を積むことにより、経営者は経営者という肩書きの中に意味を見いだすのではな
く、一人の人間として真摯に人生と向き合います。
これほどまでに人間として成長するきっかけになるものはあるでしょうか?経営者の年齢と関係なく、その後
の人生を変えるだけのインパクトがあります。事業再生に成功するだけの人間的成長です。
人間の内面は外的な運命より強靱。
人間はどこにいても運命と対峙させられ、ただもう苦しいという状況から精
神的に何を成し遂げるかどうかという決断を迫られるのだ。
自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は生きるこ
とから降りられない。
言うは易く行うは難しです。事業再生により、ヒトモノカネの在り方が変わります。周囲にいたヒトも離れ、
モノを仕入れる事もままならず、問題をカネで解決する事もできません。
孤独となり、社会から隔絶された感覚を味わいます。一方で、それでも自分と付き合ってくれる、自分でなく
てはダメだと仕事を回してくれる事があります。
他人からの評価ではなく、自分のしたいことに専念できれば、どんな状況でも自分の内面は守られます。ただ
ただ自分の成すべき事に専念できます。その役割が自覚できた人間以上に強い存在はありません。
事業再生を乗り越えるマインドの大切さ
未来について、まだありがたいことに未来は未定だ。
人間が生きることには、常に、どんな状況でも意味がある。
人間を精神的にしっかりさせるためには未来の目的を見つめさせること
つまり人生が自分を待っている、誰かが自分を待っていると常に思い出させ
る事が重要だった
事業再生は人生の過程であり結果ではありません。会社の生存、会社の存続も過程でしかありません。経営者
の人生がどのような結末を迎えるのかが最も大事な事です。
未来はまだ未定であり、いかようにもできるのです。
経営者が自分だけの人生を描くためのご支援をするのが、鳥倉再生事務所の考える事業再生支援です。
どうして新年に『夜と霧』なの?、事業再生と『夜と霧』にどんな関係があるの?と思われた方が多いと思い
ますが、鳥倉の気持ちは伝わったでしょうか。
今年はコロナ禍の支援も形を変え、企業存続の正念場となる会社様は多いと感じています。経営者の人生を切
り拓くために、本年も鳥倉再生事務所は尽力致します。
初回面談は無料です。お気軽にご相談下さい。